統合失調症とうつ病ですが、何か?

統合失調症とうつ病を併発して、5年がかりで克服し完治させたアラサー男の記録をまとめます。前職は営業職で病みまくり、今はストレスの少ない仕事で社会復帰を果たしています。

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統合失調症は断じて甘えではない!甘えでは考えられない行動

   

「統合失調症ってなに?変な声が聞こえる?・・・仕事辛いの?厳しいこというようだろうけど、それって甘えだぞ」

と、統合失調症の発症し始めたとき、とても苦しく自分でも何が何だか分からなかったときに、友達に言われた言葉です。

統合失調症は甘えだという人がいますが、これは僕からするとちゃんちゃらおかしく、断じて甘えなどという言葉では片づけられない病気です。

今回は、統合失調症が甘えだということを当事者の立場から否定する意見をまとめてみました。

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統合失調症の国別発症率

福祉医療で高い意識があるとされる北欧の調査では、ヨーロッパでも移民の場合は、統合失調症の発症率は高いです。

移民2世はその割合が高く、アフリカ系移民は顕著に発症率が高い事で知られています。

統合失調症による入院は、イギリス3都市部でアフリカ系カリブ人の発症率は、約9倍と高い割合です。

 

世界各国を見渡すと、国別でも平均、先進国では総人口の内、約0.7%の人が統合失調症の治療を受けていると言われています。

発症のピークは、思春期から青年などの成長段階で著しく、男性は平均高くて25歳、女性は20代後半から40代の発症率割合が多いです。

 

個人差はあっても環境や生活の大きな変化が、その人個人が持つ精神的脆弱性が、その家系に存在しているとの指摘もあります。

しかし、精神障害の中では「病状」として後天的な治療可能な「病気」と、現在は位置づけられ、特別な精神障害でない事は事実です。

ではそういった「精神的脆弱性」は、心を鍛えたり、あるいは心構えだけで改善していくものなのでしょうか?

 

統合失調症を甘えと捉える方々

うつ病は個人的に、一番他人から見て「甘えている」と誤解を受けやすいものだと思います。

巷には、様々な「自己啓発本」や「叱咤激励」の書籍が書店に並んでいます。

また発達障害同様、知的障害とよく混同され、「慣れてないから」とか、「頭が悪いから」、「効率的じゃないから」と様々なことを言われる場合があります。

 

しかし、人の生活は必ず他人と接する環境と、家族や自分だけの時間のプライベートに分かれるはずです。

もしこの2つに全く同じか、「似たような状況」が24時間続くと想像したらどうでしょうか。つまり一向に気が休まらない状況に自分が置かれた場合です。

精神障害への大きな誤解、その一つは「考え方が間違っている」という、他人が相手にレッテルを張る一つの体裁にあります。

 

「自分の生活は他人でも同じ」と、どうしても集団生活に思春期で普通に過ごせた人ほど、そうした自信があるものです。

では、大切な「親と死別した」あるいは、「常に虐待を受け続けた」とか、「転居が何度も短期間にあった」など、イレギュラーな事象が度々降りかかった場合はどうでしょうか。

新しい職場、新しい環境に移り、数秒で環境に馴染める人の方が稀です。その場合、そうではない人と比較して、

その特異な環境に置かれた人は、その状況に慣れるために、どれくらい”見えない努力”を重ねるでしょうか。

 

「知らない人でも気を使うな」、「出来なくてもくよくよするな」とは、慣れた人なら出来ることです。

この「慣れる時間を常に奪われる」場合、慣れようと必死になるのはごく普通の心理ではないでしょうか?

果たしてその慣れる様に必死な姿は、それでも「甘えている」といえるのか、是非考えて欲しいですね。

 

人はカンタンに生活リズムが狂ってしまう

残業が多い職場で、仕事や生活に耐えられずるうつ病になったりと、精神的な病気になることがあります。

自分が苦しければ、転職すればいいじゃないか、そうした意見もありますよね。

しかし、よく考えれば、現代社会を見ると先進国で一番問題とされているのは、少子化です。

 

加えて日本では「核家族」が当たり前で、家に子供が学校から帰宅すると、両親は共働きで家にいないことも当たり前になっています。

それではここで、よくこの状況を考えてみると、「何処にも親に甘えられる状況」は存在していません。

休みの日に親と過ごせる期間は、非常に短くそれは幼少期だけではないでしょうか。

 

その幼少期、親の都合のつく時間にだけ「甘え」は許されますが、そこでもまた学校と同じ家庭教育は待ち構えています。

1日の中で「親に甘えられる時間」は、現代社会の方が昔よりも短いのは当然です。

心の中にある不満、あるいはストレスを抱え、「たった一人で対処できる」のが当たり前なら、「甘えた統合失調症」はもっと少ない筈です。

 

厚生労働省の調べでは、年々すごい勢いで増加している統計がありあす。15年で100万人以上の増加率は、何を意味するのでしょうか。

むかしも学校では”イジメ”はありました。しかし下校時間、家に家族がいることも多かったのが昔です。

公共の中での自分の立場も「一人で対処」、家でも「自分で出来ることは自分で対処」なら、気が休まる時はいつ訪れるでしょうか。

加えて、そこに過剰に厳しい親、ドメスティックバイオレンスや、イジメがあった場合はどうでしょうか。

 

敢えて統合失調症を「甘え」という方には、強い精神力を鍛える方法を是非伝授して頂きたいですね。

厳しい親、ドメスティックバイオレンスや、イジメが同時に起こり、そして常に平穏とは縁遠い環境の中で、「楽しく明るい」と断言できる方法をです。

統合失調症は、自分以外の人と関われば発症率が高くなり、「この世に誰も居なくれなば平穏」になります。

常に孤独でありたいと考える方が、「甘えている」と言えるでしょうか。ここはよく考えて欲しいですね。

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統合失調症と社会のスティグマ

公益社団法人 日本精神神経学会の統合失調症の治療で、患者が社会的な立場で苦しくなる要因は、「スティグマにある」としています。

スティグマとは心身障害のおける「屈辱的」な意味で烙印を患者に押してしまう事です。

偏見と言い換えても良いですが、やはり最も重要なのは、社会の中に大小さまざまにある「常識」と呼ばれる、一種の対人関係の体裁です。

 

統合失調症の方の特徴、これは精神障害の多くの場合でそうですが、幼少期から思春期にかけて、自分から抑制し感情を抑える生活を続けた場合に、その特徴はよりはっきりします。それが「自己主張」ですね。

自分を表現する方法というのは、人によっては”大きな声を出す”とか、オーバーなリアクションなど、人よりも目立ちたい欲求は何処かにあるものです。

 

そうした言動をむしろ家庭では、何かしらの要因によって抑えられ、あるいは「うるさい」とか、「黙れ」などと強く言われ続けていた場合、幼少なら子供らしさは徐々に失われることもあるでしょう。

その場合でも、そうしたストレスは、大なり小なり、誰でも経験しますが、

精神的以外の病気を理由に学校を欠席する機会が多い、友達も塾や家庭の用事であまり仲間関係を上手く構築出来ない場合があります。

 

場合によって、交友関係は常に”断片的”で、家では家族の誰かによって抑圧されていた場合はどうでしょうか。

統合失調症の方は、非常に自己表現が上手ではなく、人と話をすること自体が苦手な人も多いです。

普通の人では、多少の妄想や想像があっても、「現実」で生きて人と交流する時間の方が、1日では長いはずです。

従い、人の悪口や大声で笑ったりなど、感情を思い切り表現することは容易い事です。

統合失調症は、かつて「精神分裂病」と呼ばれていました。

 

中には座敷牢と呼び、精神科に通う患者を自宅で隔離する風土があった地域も、日本には残っていました。

時代が変わっても、この「精神病」という名称だけが色濃く残り、本来の原語では「Schizophrenia:言語連想分裂障害」を大きく誤解したまま、一般に広がってしまったのです。

 

そのため、近年では「精神科」の名称をなるべく避け、「心療内科」や「メンタルヘルス」などを使うようになっています。

精神障害の名前も、「精神分裂病」から、「統合失調症」へ改名されたのは、このような一般の方々が持つスティグマを防ぐためでした。

 

統合失調症は、精神的な病ではない

「精神」と名がつくので、統合失調症は、まるで気が違ったかのような印象を持たれるのだと思います。

これは大きな誤解でありある種の「言語障害」と似ているのです。

徐々に原因不明で、考えや気持ちに整理がつかなくなり、理由も無く不安や焦燥感が過剰になっていく病気です。

 

睡眠障害がこの統合失調症の病気に併発しやすいことから、日本精神神経学会では、「なんらかの脳機能障害と、心理社会的ストレスの相互作用と関連がある。」と予測しています。

日本全国では平成11年時点で67万人、その数は毎年急増しています。

また妄想や幻覚は、認知症患者にも同様に見られますので、軽度の脳障害と心理的なストレスのバランスが問題となっているのは、総合的に整合性があるでしょう。

 

誰もが同じ感覚であるという間違い

最後に「常識」という言葉あるように、それとは別に社会には守るべき司法のルールが決められていますよね。

しかしメディアでは、どうしても統合失調症の患者が起こした事故や、犯罪について報道されるときに、病名だけは明記している場合が多いです。

 

その人の生活背景や暮らし、家庭などを顧みずに結果だけ論じるのは、この「常識」で判断するからでしょう。

犯罪は「司法」で判断するものであり、世の中すべてを司法を度外視し、常識で判断した社会は、罪を罪として犯罪を防ぐことには何も寄与しないはずです。

 

社会復帰をしたいのは、統合失調症の方も含め、社会的立場の弱い人全員の願いのはずです。それを阻害するのは、紛れも無く「偏見」でしょう

統合失調症の方を急増させている一因は決して患者本人の「心」によるものではないのです。


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