運動不足は大敵!統合失調症による運動機能の低下について、僕の場合
2017/08/16
運動と心理的変化について
精神障害と運動の関係は、いろんな精神医学会の学術論文でもこれまで論じてきました。
実際、そうした学術論文は海外の物が多いのですが、統合失調症のリハビリテーションとしては、一般的なストレス発散とは意味合いが少し違います。
統合失調症は、「鈍麻」と呼ばれる、感情が失われたような症状になる時がありますが、この時よくあるのが引きこもりです。
感情としても表面に出てこなくなるので、「感情的引きこもり」とも言われてます。
そして治療の阻害要因として、外出しないために病院も通わなくなります。
本来、統合失調症はうつ病の併発も起こり得るので、生活に支障が出た時点で何らかの治療は必要なんですが、この状態はリハビリも受け付けない状態かもしれません。
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家に引きこもるとどうなるか?
経験者として統合失調症の人の場合、比較的自尊心が高い傾向が強いと思えるものがあります。
自分のストレスとなる要因を自分なりに探ってみると、普通であれば出来ることが、多くの場合、
他人から指摘されたり、間違いだと言われた時に、非常に強い反発を覚えることがあるからです。
統合失調症も発症から急性期にかけて、独り言も多くなりますが、その内容は自分以外に対する不満の爆発のようなことが多いのです。
しかし、こうした不満は本来、直接当事者同士で衝突すればある程度ストレスは解消するはずです。
統合失調症の人は、この時のコミュニケーションがうまく出来ない事が多いですね。
こうしたシチュエーションが繰り返される時、自分なりの「防御」としては、少なくとも家の中で過ごして他人と接しない選択肢が、
心にとって楽な場合が多いです。
しかしあまりに自己解決できない不満などは、溜まりに溜まって、自分の家族に八つ当たりの様にぶちまける場合もあります。
これは自分の心の中にある葛藤が勝手に想像した産物なので、家族といえども本人が何を考えているかわからず、
突然おかしな言動をしだしたように見えるのだと思います。問題はこうした心の中に抱えたことを、
他の何かで”埋め合わせ”が出来るかどうかによります。
運動といっても、気晴らしではない
統合失調症は進行すると、他人に対しての敵意が非常に強くなります。
他人と協調していくためには、必要なのは妥協ですが、統合失調症の場合は脳は興奮状態になると、
この敵意もまた、治療のために必要な援助に対しても強い抵抗感を見せるのです。
そのため、一度自分以外と自分1人を、出来るだけ能動的に切り離す独特のリハビリが必要になります。
つまり普段の日常生活と自分を切り離して、生活とは違う環境に一時的に身を置く意味では、
野外活動としての運動は、ある程度統合失調症のリハビリに効果はあると思います。
なにより、部屋に引きこもると見慣れた身の回りの物には関心が元々低いので、
興味や関心の対象が常に自分の頭の中という風になりがちです。
この常に「考えている状態」は、統合失調症にとっては、自分で自分のストレスを作っている状態にあるといえますね。
ですから、この思考を削ぐという意味で、野外活動、単純な運動によって一つでも思考を止めてやるというのが統合失調症にとっての運動の必要性では無いでしょうか。
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何から始めれば良いか?
軽い運動といっても、ある程度のリハビリ効果を狙わないと、全くの逆効果なので、「これから毎日運動しよう」
という決意よりも重要なのは、やや強制的に無理やり外に出る行動を如何に引き起こすかにあります。
私が自分なりに考えたのは、家事手伝いなどで必要な日用品を自分で買いに行くなどの時に、そのコースを遠回りにしたり、
時間をかけて歩く事でした。ブツブツ独り言をしながらの歩き方なので、他人から奇異の目で見られることも多いです。
統合失調症の場合、四六時中無意識という状態が少ないので、この場合もしっかり自覚しているものです。
しかし結果的に、複数絡み合った思考が時間をかけて歩くうちに、一つに集約したような感覚になります。
恐らくこれが統合失調症のリハビリになってる気がしますね。
野外に出る目的も、仕事や学校などでは建物から建物への移動が目的ですし、その到達した場所には厄介な「他人」という存在が、
自分と関係ある場合が殆どです。
しかし買い物は、他人と接するのが目的ではないので、治療目的で病院に通うのともかなり違う行動です。
なんとなく運動しようという曖昧な運動よりも、自分に対してだけ意味のある目的で野外に出て、軽い運動というのは何より必然性がありますよね。
この自然な動機が統合失調症の運動、ひいてはリハビリや治療に効果があると思って良いでしょう。
家族の睡眠への理解
ところで、運動をすれば疲労もするし、疲れれば自然と眠れるようになれると通常は考える方が多いですが、
統合失調症も含めた精神障害は、こうした身体的疲労だけでは完全な睡眠は得られません。
確かに長時間の軽い運動も疲れるので、一時的には深い睡眠はあるのですが、短時間で起きることが多いです。
しかも、ちょっとした刺激、物音とか光に敏感になるので、一旦覚醒するとそこからは眠たくても寝られない状態になります。
睡眠は適度に思考を止めるのに有効なのですが、疲れて眠る場合の睡眠導入には有効でも、
統合失調症は寝てる時でも起きる前にまた脳の活動が活発になるので、疲労による睡眠はあんまり大きな期待は出来ないと思って良いかもしれません。
従って、無理に運動によって生活リズムを安定させようと試みるのは、辞めた方が良いと思います。
運動に適した場所選び
統合失調症のような精神障害の場合、集団で行うスポーツはまず相性が良くありません。
統合失調症は、考え方に「思考の執着」があるため、相手の心理を読み解くのが難しいのです。
平たく言えば、「空気を読む」という普通の感覚が、かなり個性的な捉え方をします。
同じ言い方でも、統合失調症の症状、状態次第では真逆の解釈も起こりますので、グループで行う運動は避けた方が良いでしょう。
特にこの精神障害は、都心部などの人の往来が激しいところでは、治療もリハビリも大きな障害となりうるケースが多いです。
また運動自体は、統合失調症の治療そのものではありませんので、運動だけで完治することは考えにくいです。
本来であれば、「静かな郊外の広い高原」が理想ですが、なかなかそんな環境は得ることは難しいでしょう。
従い、早朝とか平日の昼間の時間帯で、人の往来の無いなるべく見通しの良い場所が、散歩などの軽い運動には適していると言えます。
こうした場所は、精神的なリハビリには最も適している場所かもしれません。
主体性と精神障害の関係
統合失調症は、正しいリハビリと治療を適切に継続すれば、完治と呼べる状態に近づけることが出来ます。
しかしながら、そのための運動を他人から指示された場合、その脱落率はかなり高いのが難点です。
一番の問題は、「統合失調症の治療やリハビリは、主体性でなければならない。」ということです。
統合失調症の思考は、常に他者から自分が「影響されている。」
という認識があるため、リハビリも治療も、この「他人からの影響」という点では同じなのです。
一歩間違えると、「自分は命令されている」と考えてしまう危険もあります。こ
うなると、「この行為は、何かの意図や策略が潜んでいる。」と誤解するんですね。
これは決してオーバーな例えではありません。統合失調症の治療、リハビリではよくあることです。
そこで、「統合失調症にとって運動が良い」と考えるよりも、体調がすぐれた時に、運動を上手に取り入れて習慣化させ、
それを症状の進行を食い止める際のスケープゴートにするのが、経験上、上手くいくと思います。
つまり、思考が暴走しはじめたら運動に置き換えるというわけです。
根本的な解決には至りませんが、運動に気を取られることで、多少は楽になるとは思います。
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