統合失調症の家族会ってどんなところ?みんなで行ってみよう!
2017/05/06
家族会って一体何ですが?
簡単な一言で表現すれば、統合失調症の家族会とは、「互いに統合失調症の家族を持っているので、悩みを打ち明けたり、共有して励まし合う」といった、統合失調症本人以外の家族のための集まり、コミュニティです。
社会的立場が弱い、自分の家族にいる統合失調症の方の社会の誤解や、偏見を改善したり、社会復帰出来る社会を目指そうと言った目的ですね。つまり「啓発活動」の一環です。
福祉とは役割がちょっと異なり、また具体的な支援も民間なので、アプローチする側になります。施行する側ではありません。もちろん、精神医学の分野での専門家も在籍したり、全国規模の大きな家族会も存在します。
従って参加しているのは、統合失調者本人以上に普通の人々が9割以上です。
統合失調症と関わりのある家族がその中心ですね。
多くは、「初めて精神疾患や精神障害を知った」という人も、かなりの数が在籍し、自分で情報を収集する意味でも活用しています。
施策を提言して自治体や国にアプローチする、そういった民間団体ですね。統合失調症支援としては、「外郭」的な存在です。
今回は、統合失調症がひどかった時期、両親が通っていた家族会のことをご紹介します。
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統合失調症の家族会はどんな活動をしているの?
統合失調症の方の社会復帰や教育に関わる、自治体への働きかけ、長期入院している急性期で重い統合失調症の患者の福祉や支援などの施策を、専門家と協議したりしていますね。
統合失調症の場合、まず軽度、重度という区別があるというより、「異常行動が出るまで、統合失調症とはわからなかった。」というケースが圧倒的に”膨大”な数に上ります。
それくらい、統合失調症の前兆過程は、非常に気が付きにくいものなのです。
初期症状は必ずと言っていいほど、「睡眠不足」とか、「生活が不規則だから」という本人の生活改善で良くなると信じ込まれています。
精神障害福祉や支援は、公的、民間でも日本は特に遅れているのが現状です。
実はこうした誤解を最も多く感じて、そう捉えるのは「家族」なんですね。
その背景には、「自分の家族に精神病がいるはずがない。」と思いたい心理が確実に働いているでしょう。
そこで家族会が発足し、皆で情報を共有しようとした、民間福祉が模索されて来たわけです。
統合失調症をめぐる大きな社会問題
精神障害における偏見も大きな問題ですが、最も重大なのは「就職」ではないでしょうか。
福祉の基本原則は、「社会行動を支える」意味でもあります。
統合失調症でも、幼少期から思春期あるいは大学までは親が面倒を見て、収入もあてに出来ます。
しかし、長期化しやすい精神障害ほど、症状や障害は不定期に本人に出現します。
従って、民間団体である家族会では、やはり統合失調症を抱える悩みの共有や、共感以上に、統合失調症の就職支援、収入と独立について議論が深まるよう望まれます。
長期入院支援も重要ですが、問題は退院し、社会復帰する時点で社会が統合失調症経験者を、きちんと受け入れるのかが問題なのです。
もしこうした統合失調症の家族会に興味を持たれたら、是非、そうした今の統合失調症の現状以外に、本人の将来に付いて議論に参加してほしいですね。
単なる偏見ではないのが現状
統合失調症のような精神障害福祉は、民間では特に「個別」でその捉え方にかなりの差があります。
一様に言えることは、その場に患者が多数在籍することはまずありません。9割以上が精神的に安定した「健常者」で構成されています。
もちろん統合失調症の方の負担軽減に、余計な行動や思考を与えるのはマイナスかもそれませんが、統合失調症の経験が無き場合に、どこまでその実態を把握しているかは、少々疑問が残ります。
精神障害の福祉は原状回復が目的ではなく、「生活に不自由がない状態」に復帰させるだけです。
そういう意味では、統合失調症は民間医療でも、民間団体がいくら支援しても完治はないといえます。
その民間団体が、統合失調症という「現状」をどの様に捉え、「支援とは何か?」なのか、その最終目的が明確でない場合、その役割は極めて低いと、厳しいですが指摘しておきます。
これは統合失調症の経験者の方々の提言です。社会に精神病と言うレッテルで偏見があろうと、それは他人の自由な思考です。
通常「背が低い」と悩んで、会社や学校へ行きたくない人などいないでしょう。偏見を是正する運動は、間違いではありませんが、目的が歪みやすいですね。
この点だけは、民間の家族会に参加するなら注意してもらいたいです。
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「精神病」の名称が元凶
統合失調症の支援活動、福祉政策の最も大きな障害は、実は「用語」が最も深く関わっています。
その一端が「精神病」という”精神”と名がつく病名です。日本では臨床精神病理学などの外国の文献から、安易に「精神」という名称を用いてきました。
特に統合失調症とは、以前「精神分裂病」と呼ばれていたので、「心の病」という呼び方同様、「心理的に狂った状態が精神病だ」という、実に大きな誤解を生じてきました。
そのため、「育て方が問題」とか、「あれは遺伝だ」といった本質的な部分にだけ、今での注目する方が後を絶たないのです。
ハッキリ言いますが、統合失調症は長い間の生活の中で、思考が偏り、脳神経障害と合わさって出現する「後天性精神障害」の一つです。
それが遺伝性があるとか、特殊な能力なのかは医学的に未解明なだけです。
民間の支援団体や福祉団体など、家族会も含めた事業体、団体に参加する場合は、
必ずこうした「概念」を拭い去ってからでないと、むしろ参加しないほうが良いです。
精神障害は、「同じ環境と同じ条件が揃っていれば、誰でも可能性が高い」といえます。
従って、うつ病、不眠症も統合失調症は併発しやすく、「これが統合失調症だ」と言える確証のある症状は、急性期の妄想や幻覚くらいです。
それが統合失調症の”証拠”ではありません。家族会へ行ってみようという方は、家族会で参加したから自分は「統合失調症の治療に貢献出来る」と誤解しないようにしていただきたいです。
ただ、精神障害を見識を広げる意味では大きな価値はあります。
家族会参加も要注意な点があります
一番要注意なのは、知的障害では顕著に問題となる、「特殊なコミュニティ」を形成しないことです。
統合失調症同士でたとえ互いに集まって、互いに患者が協力して症状が良くなることは絶対にありません。
精神障害は、その人を取り巻く家庭も含めた社会と個人の関わりの中に存在するからです。励まし、患者を啓発したところで無意味です。
それは社会復帰と絶対に結びつきません。むしろ大きな弊害となります。
統合失調症は何度か説明しているとおり、遺伝でも病気なのかもはっきりしない、後天性精神障害の一つです。
そのため、民間支援にしても、民間福祉にしても、高齢者に多い認知症と同じで、「正常な生活自体は、最初は出来ていた」ということです。
ただ、環境や状況でそこに辿り着き、脳機能に変化をきたしたといえます。
しかしながら、わかっているのは統合失調症は環境と状況に非常に、過敏に反応しやすいということです。
ここが精神障害は通常の人と脳神経の働きが違います。
その環境と状況は、家族が作っているかもしれないし、会社かも、学校かも、友達かもしれないのです。
その意味では、統合失調症の方と身近な立場にいる人は、まずその「自覚」が最優先で必要とされます。
統合失調症とは、人間社会のコミュニケーションの中で出現するからです。
本当の福祉とは?
統合失調症は、自分が経験すれば最も理解が出来るのは事実でしょう。しかし他人の考え、思考性は永遠に完全な理解が出来るものではありません。
ですから、「人の考え方」を治すのは不可能です。絶対に出来ないとして、現在の心療内科などでは、原則その人の人格は必ず尊重する治療を、統合失調症でも行っています。
「自立し生活出来る」ということは、結局、仕事が自分に相性が良いかだけの問題なのです。
どんな単純作業、あるいは孤独で一人で作業しても、生活に支障がなければ何をどう捉えようが、「人の自由」に違いはありません。
この独立した生活支援こそが、民間の家族会、支援団体の存在する本当の意味です。
是非、統合失調症の家族会に参加し、精神障害の知見を広げてみて欲しいと、統合失調症経験者である私は思いますね。
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